日々のメモ書き

大学院を休学してヨーロッパの自動車会社でインターンして思ったこと

はじめに

2017年4月から2018年3月までの一年の間、ヴルカヌス・イン・ヨーロッパというプログラムを通じて スペインのバルセロナで働いてきました。

正確には最初の4月から7月までは現地の語学学校でホームステイをしながらスペイン語を学び、 8月からはスペインの自動車関連会社(Applus+ IDIADA社)で働くというスケジュールでした。

当初、僕はヨーロッパの大企業でエンジニアとして働ける、いろんな技術に触れて学ぶことができると 意気込んでいたが、世の中そんなに甘いものではなく、楽しくもあるが、やはり辛い一年を過ごしてきました。

この時から今でもずっと僕のことを支えてくれてる人がいて、どれだけその存在に救われたか、本当に感謝の念しかありません。

インターン自体はもう一年前の話になるので、今更感が強いですが、最近色々思うことがあったので 、就職前に一度まとめたいと思い修論の息抜きも兼ね本記事を執筆することにしました。

*勢いで書いたので内容に不備があるかも。

渡欧前

2016年の10月に、プログラムの最終選考としてインターン先での直属の上司になる予定の方(ADAS部門のマネージャー)とスカイプ面接をした。

僕は、高専から大学院まで一貫して通信工学、特に無線通信システムを専門としていたので、 自動車の車内通信システム、V2X、ITSなど通信全般に興味があり、そのような技術に携わりたい、と伝えていた。

インターン先の会社は車両の走行実験のために保持している広大な敷地内に、2Gから5Gまでのモバイルネットワークを備えていた。 加えて、僕が応募した部署もADAS部門だったため、僕にとって非常に魅力的なインターン先だと思えた。

先方も、事前に提出してあった僕のCVを読んだのか、「君のような人材が欲しかった」と伝えてくれて、すごく嬉しかったことを覚えている。 (この面接が初めての英語面接だったので、緊張のあまり、面接直前にほろ酔いを飲んで緊張を紛らわしていた。なので、上司のあの一言は緊張を和らげてくれたし本当に嬉しかった)

ADAS: 先進運転支援システムは、自動車のドライバーの運転操作を支援するシステムである。次世代のADASは、3GやLTEなどのワイヤレスネットワーク接続の活用(V2N: Vehicle to cellular Network)、ほかの車両との通信(V2V: Vehicle to Vehicle、車車間通信)、歩行者との通信(V2P: Vehicle to Pedestrian)、路端のインフラとの通信(V2I: Vehicle to roadside Infrastructure、路車間通信)などを使用して価値を向上させる[6]。車両対他装置・インフラ等は総称してV2X(Vehicle to Everything)と呼ばれる。(Wikipediaより)

渡欧後: 語学学校

語学学校での語学研修期間である最初の4ヶ月は住民登録、ビザの更新、アパート探し等であっという間に過ぎた。 初めて習うスペイン語も4ヶ月やってみると、ある程度のところ(B1レベル)までは進めることができた。 (インターン先の会社は社内公用語が英語だったので、スペイン語の習得にそれほど熱が入らなかった)

インターンが8月から始まる予定だったので、語学研修期間中の6月に一度、会社へ見学に行った。

会社の敷地は周囲7kmと非常に広大で、会社の中に川が流れていたり、林があったり、野生の兎が大量に生息していた。 食後のコーヒー付きバイキング形式のランチはインターンは無料で、ハイキングコースも5コース整備されており、 この会社で働くことが非常に楽しみになった。

上司や8月から同僚となる社員の人達は、信じられないほどフレンドリーで、スペイン人すごいなあ、と再認識させられ、 きっとこのチーム内で人間関係で悩むことはまずないな、と確信した。 (実際、インターン中、人間関係で悩むことは全くなかった。ホントよかった)

この時、上司から「インターナルな仕事とグローバルな仕事、どっちがいい? グローバルな仕事の方は日本の自動車会社と一緒にやってるよ」と 聞かれた僕は、どうせならグローバルな方がいい、と答えた。

余談だが、インターンが進んでいくにつれて、最終的にはインターナルな仕事もグローバルな仕事、どちらにも携わることになったので、 この質問には特に意味がなかったことに日本に帰国後気がついた。

渡欧後: 仕事開始

2017年8月 ここから僕にとっての想定外が始まった。

出社初日。 僕の仕事場である、ADAS部門の建物へ向かった。 ただ、建物に入っても人の気配がしなかった。 おかしいな、と思いながら扉を開け部屋に入ると、前に見学に来たときには20人以上居た室内には、 デスクに座って作業をしている人がぽつんと3人いるだけだった。 後々判明するのだが、居なかった人たちは一ヶ月の夏休みの最中だった。

近くに居た3人の中で一番偉そうな人に、「今日からお世話になる、Yukiです。よろしく」と声を掛けると、 僕に気がついたその人が「ああ、聞いてるよ!よろしく!」と気さくに返事を返してくれた。 そして、作業をしていた他の二人も「よろしく!Yuki」と声を掛けてくれて、僕は早くも職場の人と打ち解けたかのような気持ちになった。

さて、次に、

「これがYukiにやってほしいことね。俺は担当じゃないから、ちょっと詳しい内容は分からないんだけど、とりえあず読んでみて」

と紙に印刷されたパワポ資料を渡された。 その資料は表紙を入れても4ページしかなく、加えて図が中心の資料だったため、概要しか理解できないような内容だった。 理解できたのは、それが日本の会社から依頼されてる仕事ということと、依頼にあたっての背景及び目的の概要だけだった。

なんとか理解してみようと試みたが、情報が少なすぎて難しかったため、社員の人にもっと詳しい資料はないのか?と尋ねると、 参考になるかわからないけど・・・、と日本の会社とインターン先の会社とのメールのやり取りを見せてくれた。

得られた情報は少なかったが、その仕事の管理を担当していた社員は休暇中だったので、 「ちゃんとした資料ないのか。これ僕の理解が間違ってたらやばくない?」と思いながらも、 定期的に同僚に相談しながら自分なりに仕事を勧めた。

その仕事内容だが、簡単に言うと、ヨーロッパ各国の交通法規、技術的な要件が書かれてある資料をひたすら読み込んで内容をまとめるというものだった。 まじで拷問のような時間だった。

与えられた時間は3ヶ月もあり、その間、ひたすら英語、スペイン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、チェコ語・・・・、おおよそヨーロッパ20カ国分の 資料を読み込んだ。当然、英語、スペイン語以外は全く内容が理解できなかったため、PDFをグーグル翻訳(ありがとうグーグル)にかけ、読み込んだ。

この頃は、これが上司の言っていたグローバルな仕事なのか、と思いながら、毎日作業しており、 グーグル翻訳にかけた資料を読みすぎて、不自然な英語を読むと、頭痛になるという現象に見舞われていた。

うまくグーグル翻訳できないという理由で、フランス語が嫌いになった。

加えて、本来僕が期待していた仕事とはかけ離れていたため、同僚に対する不満は全く無いが、仕事に対するストレスがマッハだった。 あまりにも作業が単調すぎて、日本に帰って大学で勉強したいと思うようにもなっていた。 日本に居た頃は全く意識したことなどなかったが、大学で毎日自由に好きなことを学べるのって、本当に素晴らしいことだなと嫌というほど認識させられた。

嫌気がさした僕は、 このプロジェクトが終わったら、 もっとエンジニアっぽいことしたい、もっとプログラミングとか使うことしたいと 上司に毎日のように注文した。

しかし、 次のプロジェクトも、あまり前プロジェクトと変わらず、 CSVファイルからデータをソートして、必要なデータを抜き取るというものだった。 (上司基準のエンジニアっぽいことがこれだった)

Pythonで一発じゃん!!と思っていたが、そうは問屋が卸さず、 会社の規則?によって、そもそもPythonのインストールができなかった。 そのため、エクセルで作業を行う必要があった。

Excel VBAは使えたので、データの抜き取りをVBAを使って行うことにした。

これまでの人生でVBAをわざわざ使おうなんて思ったことはなかったし、 楽しいなんて感じたことはなかったが、 このときばかりは、「今オレはコードを書いてる!!!」と興奮したことを覚えている。

数ヶ月も立つと会社の文化や仕事自体に慣れ余裕もできた。 適度に手を抜くということも覚え、ストレスを感じそうだったら、 仕事を一旦ストップしてリフレッシュすることを始めた。 仕事内容以外の部分では居心地がすごく良かったため、 このままだったら、一生この会社で働き続けられそうだなあ とも思った。

でも、ある休日、Google scholarで暇つぶしにMIMO関係の論文を探していた時、 「今会社でやってることって ここに来る前にやりたいと思ってたこととかけ離れてるよなあ」 とふと思った。

そう思った途端、なんか萎えた。 日本に帰って、研究しよう。 それまでは会社の仕事頑張ろうとと思った。

そんな感じで、八ヶ月で3つほどのプロジェクトをこなして、2018年3月に日本に帰国した。

感想

八ヶ月間で、ミーティングは沢山したし、 日本やヨーロッパの自動車関係の人たちと沢山お話もできた。 数十億円規模のプロジェクトにも末端ではあるが貢献できた。 最初はあまり聞き取れなかった、ヨーロッパの人の英語訛りも結構分かるようになったし、 いい意味で図太くなれたと思う。

まあ、でも、英語喋れるとかヨーロッパで働いたとか、 そういったことって別にどうでもよくて、 本当に僕がしたかったことは、最先端の通信技術を使ったシステムに触れて、 もっとそういったものに対する経験を積みたかった。 もし、それができていれば本当にベストだったし、僕は感動のあまりインターン先の会社に就職していたと思う。

でも、一年、大学から離れて、仕事内容も事務みたいことをしていたおかげで、 自分が研究好きってことを知れた。 それに、僕があまり自動車自体には興味がないってことも知った。 渡欧前は自動車会社に入る気まんまんだったから、事前にわかって良かった。 それに、日本から見たヨーロッパと、ヨーロッパから見たヨーロッパはやっぱり違った。 僕にはちょっと合わなかったように思う。 だから、このヨーロッパインターンで日本で研究者として働く決心がついた。

スペインにいる最中に、ボストンキャリアフォーラムに 参加して、色んな企業から良いオファーを貰えた。けど、その中でも一社すごくいい日系企業と出会えた。 他と比べて派手さはなかったけれど、面接官の研究所の方がすごく楽しそうに働いていた。 こういう人と一緒に働きたいなと素直に思えた。 だから、この4月からはその研究所で働くことにした。

ヨーロッパに来なかったら、こういう出会いは絶対なかったな、と思う。 同じヴルカヌスプログラムのメンバーは全員良いヤツで、小学生っぽいことを言うと、みんなのことをすごくいい友達だと思ってて、 今後もずっと付き合っていきたい。 仕事が辛かったのも今となっては、逆にいい経験だったとすら思える。(今でもフランス語はアカンけど)

あと今後就職したら、受け身ではなくもっと色々自分から動けるようにするつもり。 言葉ではわかってたつもりだけど、やっぱり嫌な環境で受け身だと、ツライだけだ。 今回も仕事内容に関しては変えようがないけど、もっと自分で変えれるところは主張すべきだったなと後悔してる。

それと、最後に、自分のやりたいこと、目標は忘れないようにしたい。 仕事の大変さで忘れちゃうこともあるかもしれないけど、 自分にとっての目標を明確にし続けて、長期的に頑張っていきたいです。

以上。

おまけ

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住んでいたマンション前

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MITにもいったよ
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ボストンの街は想像よりも都会だった
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休暇で行ったフィンランドヘルシンキ